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確かに横浜にいました

先程、しゅうさんに今年はまだ1回しか登場していないことを指摘されて、今年はもう2回登場しているのであと秋冬2回余裕で登場しようと勝手に安心していた幻の院長です。

まあ、別に春夏秋冬年4回というきまりがあるわけではないのですが、今調べてみたら本当にまだ今年1回しか登場していない事実にいまさらながら驚いていたりします。

去る2008年8月24日、幻の院長は大雨の横浜にいました。

そう8月24日は北京オリンピックの閉会式でもありますが、あのサザンオールスターズが30年の音楽活動を休止するラストコンサートの日でもあります。

ちょうど私たちの年代の人たちは自分の人生の歩みとサザンの曲とがクロスする人も多いのではないでしょうか。

今から30年前、私がまだ中学生の頃、その当時、流行っていた「ザ、べストテン」という番組で短パンとランニング姿で登場し歌った「勝ってにシンドバット」は今聞けば名曲ですがその当時はあまりにも奇抜で社会に大きな衝撃を与えました。

高校時代はクラスメートのみんなとキャンプファイヤーなんて青春していた時によく聴いていたのは「YaYa」とか「チャコの海岸物語」でしたし、

大学時代、ハイキング部といって騙されて入部したワンダーフォーゲル部は実はほぼ山岳部で、夏山合宿知床縦断の際に爆弾低気圧の通過によりテントが吹き飛ばされて遭難しちょっと生死をさまよった際によく真っ暗な深き山中で聴いていたのが「Bye Bye My Love」でしたし、

新米医師時代、まあ、修行中の身でしたのでほとんど毎日当直や産直で病院に泊まっていた際によく聴いていたのは「真夏の果実」や「希望の轍」でした。

特に「希望の轍」のさびで「遠く、遠く・・・」という部分なんかは、疲労と寝不足でだれもいない真夜中の医局で意識が本当に遠くなっていたのもいい思い出です。

留萌市立病院時代、自分でとりあげた0歳と1歳の子供たちと病院の崖の下にある誰も知らない瀬越駅から日本海を見ながら聴いていたのが「Love Affair」でした。

余談ですが、さびの部分で「大黒埠頭で虹を見て・・・」とありますが、最近その誰も知らない崖の下の瀬越駅に行ってみたら埠頭工事か護岸工事かなにかよくわかりませんがすっかり埋め立てられていて駅から日本海は見えなくなっていました。

まあ、どうでもいい話なのですが・・・

でも、もっと言うなら、その崖の上の病院もすっかりなくなって更地になっていました。

まあ、そんなこんなでサザンの曲を聴くとその時代の自分が存在していた風景が走馬灯のように思い浮かぶ方も多いのではないでしょうか。

そんな、みなさんそれぞれに思い入れのあるサザンのラストコンサートですから、8月24日は全国から7万人の別れを惜しむファンの方々が、あの2002年ワールドカップ決勝のスタジアムである日産スタジアムに集まったそうです。

8月24日は東海道本線すら運休になるくらいの大雨のなか幻の院長も確かに横浜にいました。

でも7万人の日産スタジアムではなくそこから数キロ離れた大雨のちょっとさびしい数千人の三ツ沢球技場にいたりしました。

その日は実はコンサドーレ札幌対横浜Fマリノスの試合が本来はFマリノスのホームである6万人収容の日産スタジアムであるはずだったのですがサザン様のコンサートがあるためにちょっとさびしい三ツ沢球技場に変更されたそうです。

それで、結果はどうだったかというと、いつも三ツ沢球技場へは横浜駅からバスで行って負けていたので、今回は願をかけて大雨のなかカッパ着て往復1時間程の道を徒歩でいったのにもかかわらず、みなさんの予想通り普通に0−1で負けたようです。

後半終了間際に思わず天を見上げると、7万人の日産スタジアムでのサザンのコンサートの途中で大量に放たれた白い風船が、数キロ離れた数千人の大雨の三ツ沢球技場の上空を「元気で生きろよ」とでもいっているかのように静かに2.3個、通過していたのが今年の夏の思い出です。

ここまで書いて、前回約束した誰も期待していない秘境駅の続きを書くのをすっかり忘れていた幻の院長でした。